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宮沢賢治はちっとも有名ではありませんでした。生前に受け取った原稿料といったら、婦人雑誌に書いた童話「雪渡り」の稿料五円だけでしたから。
大正八年一月、東京。ちっとも有名でない賢治が、カステラを手に灰色の空の街を歩いています。いつものあの右手と右足を同時に前に出すようなクセのある歩き方で。
日本女子大に在学中の妹トシがインフルエンザから肺炎をおこし、昨年末に花巻から駆けつけた賢治は、年を越えても病院通いの毎日だったのです。病人はやっと高熱が取れて重湯(おもゆ)だけの食事からも解放されはじめています。朝早く病室に着いて容態を確かめ、父に報告の手紙を書き、上野の図書館に行って、夕方また病院に戻るのがいまの賢治の日課でした。
一月二十日「昨日はカステラ、少量(二個)の飴菓子、及午食に奈良漬の皮を去りたるもの二切等を食し申し候」
一月二十二日「梅びちょは前の器物に又新らしく入れ換へ外にカステラ等を本日入れ申すべく候」
同日「午後は三十七度七分にてカステラ様の菓子等を……」
ベッドの脇で真面目な顔してつづる連日の父への報告。
何のために生きるのか、いかにして生きるのか、人生と信仰の悩みを分け合ってきた二つ違いの妹、最愛の妹に付き添って、武骨な手でカステラを切る賢治、二十三歳。
トシは三年後に亡くなります。可憐なトシの面影がほのみえるあの「銀河鉄道の夜」の初稿が書き上がるのは、それからさらに二年後のことでした。
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