長崎カステラの歴史
長崎カステラの歩みは、日本の歴史とともに
時は元亀二年(1571年)、室町時代の終わり、世界は大航海時代の真っ只中。開港したばかりの長崎港にも、遥か遠く西欧から交易を求め、初めてポルトガル人が上陸しました。現代でも全国的に有名な長崎の銘菓カステラは、この時代に日本にその製法が伝えられたと言われています。

南蛮船来航の波止場跡

唐船
カステラは、一説にはスペインに古くから栄えたカスティラという王国のパンとして長崎の人々に紹介されたと言われていますが、当時のカステラは現在のカステラとは味も形も全く異なるものでした。70年間の長期に渡るポルトガル人達の長崎在住の中で、カステラはやがてその由来となる名前だけを残し、長崎で独自の進化を遂げていったのです。

やがて鎖国の時代が訪れ、長崎は日本で唯一、海外へ開かれた窓となりました。白砂糖が喜ばれることを知った外国人たちは、東南アジアから南蛮船や唐船に多量の砂糖を積んで長崎へ渡来するようになります。こうして、江戸期を通じて、長崎は日本中でも特に菓子作りが盛んに行われ、様々な菓子が生まれ育つようになりました。

江戸時代には、江戸でもカステラが生産されていったのは事実ですが、スペインから伝わったカステラを本格的に作り変え、今の味を完成させていったのは、砂糖を豊富に手に入れることができ、卵と砂糖の分量を増やせばシットリとした焼き上がりになることを知っていた長崎の菓子商人たちだったのです。


こうして長崎カステラは日本を代表する銘菓として完成され、全国へと広まっていきました。一度食べたら忘れられないその深い甘味は、異国情緒豊かな長崎の味として、現代でも多くの人々の心を魅了しています。


甘く床しい逸話の数々…長崎カステラを味わった人々
異国との交流に恵まれ、カステラの生まれた長崎の地は、華の江戸時代を経て激動の幕末に至るまで、様々な外国文化が流れ込み、日本中の志ある人々の憧れの地として栄えることになりました。幕末の志士・坂本龍馬が慶応三年(1867年)に長崎で組織した有名な「海援隊」の日誌には、カステラ仕様の項目がこう残されています。 オランダ船にて来航の象
「正味、玉子百目、うとん七十目、さとふ百目、此ヲ合テヤク也、和蘭実方…」海援隊の隊士たちとともに、カステラをほおばる龍馬の顔が目に浮かぶようです。

長崎に滞在していた頃、カステラを非常に好み、毎日一斤をパンのように手でちぎって食べたという芥川龍之介。パリ万博に向かうフランス船の中でカステラを食べたという渋沢栄一。
また、尾崎紅葉、樋口一葉、正岡子規、夏目漱石、室生犀星、北原白秋といった、日本を代表する文人たちの作品の中にも、カステラは登場します。長崎の銘菓として独自の進化を遂げたカステラは、その時代の様々な場所で人々に愛され、甘く床しい逸話が今も伝えられています。

◆長崎カステラを味わった人々の逸話は、「かすてら噺」で紹介しています。

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