勇ましく響き渡る銅鑼(どら)の音。力強い漕ぎ手のオールが波に煌めく飛沫をあげて、いくつもの船が疾走します。「ペーロン」と呼ばれるこのボートは、古来交流の盛んであった中国から長崎へと伝わりました。夏も盛りを迎える8月、祭に賑わう港で見られる勇壮な「ペーロン」競漕は、今では長崎の夏の風物詩となっています。
今回は、この「ペーロン」の由来を紹介したいと思います。
「ペーロン」の語源は、中国の「白龍」(パイロン)からきたものと言われていますが、その由来には、紀元前350年頃の中国の詩人、屈原(くつげん)にまつわる伝説があり、中国の戦国時代末期、楚国で記された「楚辞」の中に、その発祥が語られています。
今から約2300年も昔、四面楚歌の故事で有名な国「楚」の屈原は、優れた詩人であると共に、正義感溢れる優れた宰相として、王である懐王を助け善政を敷いていました。しかし彼が陰謀によって失脚し、政界から退けられてしまうと政治は揺らぎ、間もなく懐王は敵国の軍勢に捕われて殺されてしまいます。
祖国・楚の行く末を嘆いた屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまいました。
民と国のために力を尽くした屈原の死を悼んだ楚の国の民たちは、龍船(白龍)を出し、太鼓の音で魚を追い払い、さらに「ちまき」を川に投げこんで彼の遺体が魚に食べられないように祈りました。これがやがて、彼の霊を慰めるため、龍船を漕いでその早さを競いあう行事として定着していきました。
やがて時は過ぎ、江戸時代のはじめの長崎港。長崎へ貿易に訪れていた中国の人々が、海が荒れて出航できない時、海の神を鎮めるために長崎港でペーロン競漕を行いました。
これが長崎の人々へ伝わり、今日の長崎のペーロン競漕として発展していったそうです。
また、屈原の命日である旧暦5月5日に、彼の供養のために多くのちまきを川に投げ入れる風習は、以後中国では国の安泰を祈願する行事として中国全土に広がっていきました。
これはやがて病気や災厄を払う宮中行事となり、端午の節句として日本に伝わり、今に至っています。端午の節句に「ちまき」を食べる習慣も、この中国の故事に由来しているのですね。