「カピタン」とは、昔の言葉で「オランダ商館長」のことです。鎖国時代当時、唯一西洋との貿易が許されていた出島では、カピタンのもと、商館員たちがオランダと日本の貿易を取り持っていました。
1803年、わずか27歳の若さで長崎出島のオランダ商館長に着任したヘンドリック・ドゥーフは、歴代のカピタン(オランダ商館長)の中でも、最も日本人に親しみ、幕府からも信頼された人物といえるでしょう。特に、彼が編纂(へんさん)を手がけた本格的な蘭日辞書「ドゥーフ・ハルマ辞書」は有名です。
彼は日本在任の18年間の間に、丸山遊女の瓜生野(うりゅうの)との間に「丈吉」という男の子をもうけています。
故郷オランダの戦乱や他国との貿易争いに、苦労が絶えなかったドゥーフにとって、丈吉はかけがえのない存在だったことでしょう。
やがて、1815年、長い戦争の果てに彼の祖国オランダは独立を果たし、任期を終えたドゥーフは帰国の途につくことになります。当時、日本人との間に生まれた子どもを外国へ連れ帰ることは固く禁じられていましたが、我が子を残したまま日本を離れなければならなかった彼は、長崎奉行へ嘆願書を出しました。